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2024.12.25

ご利用者インタビュー

U.Kさんのお母様

U.Kさんのお母様

診断を受けた時のお気持ちを教えてください

心拍が確認できたぐらいで出生前診断を受けるも「99%異常なし」

おなかにいるとき、心拍が確認できたぐらいで、まず、むくみを指摘されました。出生前診断を受けるかと聞かれたので、産院では調べられる染色体が決まっていたのでまったく別の病院で予約を取って、そこは(調べる)染色体の番号が選べ、さらにそれだけを調べるか、全部調べるかを選べたので、全部調べることを希望しました。

(調べた結果)99%異常無しだったんです。まれに1%問題があるかもしれないといわれていて・・・小さいとはずっと言われていたので、病院でも1時間ぐらいかけて、おなかのエコーを撮ったりして、いろいろ異常がないかを調べてもらったけど、とくに異常はないって言われていました。

この子はこの子のままで。この子のペースで。

病院に行く前に産まれちゃいました。その2日前に頭痛がひどくて近所の病院で痛み止め飲んでいて。

陣痛はなんか張っている感じはするけれどそれが陣痛かははっきりしなかったんです。34週で産まれました。

病院に向かう車の中で産まれちゃった時には息をしていなくて

車の中で産まれたときは(息をしていなくて)真っ黒で。病院について、みんな驚いて担架を持ってきたり「はさみ、はさみ」って言われるんですけど、車にもなくて。

とりあえず赤ちゃんは、そのまま運ばれて行きました。

私は何がなんだかわからなくて。コロナ渦であるということ、他府県から来たということで隔離をされて、コロナの検査が始まって、そこから2時間ぐらい、何にもない冷たい簡易ベッドの上でただただ寝かされて、「何かあったら呼んでくれ」って(笑)。すっかり身体が冷えちゃいました。

やっと部屋に案内されて、私は携帯も持っていなくて。パパはその間車をずっと掃除していました。売店でバスタオル等をいっぱい買って。消毒や掃除をしていました。「とりあえず携帯が欲しいです」って言っても、「旦那さんもまずコロナの検査が必要です」と言われて。

産まれた報告もできなくて、子どもの状況を聞いても何も教えてくれず、でした。

はじめて会えたのは私の退院のとき

赤ちゃんにはじめて会えて、先生の話を聞いたのは、私の退院の時でした。主治医も部屋には来てくれたけど、何もやっぱり教えてくれなくて。わたしはただ「息はしていますか」って、それだけを聞いていました。でも、何かあれば言ってくるだろうし・・・と思っていました。情報がないまま、会えない時間が過ぎていきました。

産まれてすぐに連れていかれて、その日に性別は「男の子」って言われて(本当は女の子です)「え?赤ちゃん取り間違えられてない?」って思って。でも退院の時に顔を見て、「あ、自分の子やな」って思いました。顔が私の小さい時に似てて。

事務の方も、全然情報がないからとりあえず書類等を「男の子」って記入していたみたいで。

 
男の子ってことは、もしかしたら、上の子と同じ病気かもしれない...って思ったり...。

診断を聞いたときは「うそー」ってなったけど、「あぁ、やっぱりか」とも思いました。

退院の時はまだ診断が下りてなくて「こんな処置をしてます」とか「気管が狭くて」という説明が続きました。1週間後ぐらいに気管切開の話がありました。おそらく2週間で気管切開しました。

産まれて1か月ぐらいで診断名がおりました。見た目の特徴だけで診断されたようで、「遺伝子検査しますか?」と聞かれて。

でも、しても正確な結果が出るとは限らない、出ない可能性もあるという感じで。でも診断名はもうついたから、もうええんちゃう?と思いましたが、でも、出生前検査までして、「99%何もない」って言われていて・・・確証が欲しかったから検査をしました。結果は、5番の染色体だったかな...?

診断を聞いたときは「うそー」ってなったけど、「あぁ、やっぱりか」とも思いました。
最初の妊婦健診の時に言われて、いろいろ調べて「大丈夫」って言われて。その時点で言われていたら受け入れられたかもしれないけど、「やっぱり大丈夫」って言われてからの、今回の結果だったので、「やっぱりか・・・」と。

でも、受け入れられないということは全くなかったです。産まれたての写真を見て「かわいい」「小さいだけやな」って。

おじいちゃんからの一言にすごく救われました

私も旦那も、結構考えが似ているというか、別にそんなには重く受け止めていなくて。1日目だけかな。

出産当日は「私があんな産み方したからや」とか「普通に産めてたら」とか「ちゃんと分娩台で産めてたらこんなことなかったのかな」とか思ったけど、結局どんな産み方してても一緒だったなって。

旦那もお母さんを5歳の時に亡くしていて、お母さんが二人目を妊娠していて、性別もわかっていて、の時ぐらいに。お父さんは全盲で。ヘルパーさんに来てもらっていて。

だから別に自分は父親になって、おやじは目が見えないし、だからぜんぜん子どものことは重くみていない。産まれた日に自分の親に電話した時に、前から「何かあるかもしれない」って伝えてはいたけど、「なんでや・・・」って言われて。

旦那のお父さんに伝えたときに「よかったなあ。自分らのもとに来てくれて。よかったなあ」って言われたんです。「自分らやから、なんとかできると思ってきたんやで。よかったなあ」って。
その一言にすごく救われました。

一番不安だったこと、葛藤したことはなんですか

最初は「もし気づけなかったら」「自分のせいで何かあったら」と思うと怖かった

私は最初、注射も見れないし、気切を開けるとか、考えるだけで本当に怖かった。胃ろうも最初怖くて見れなくて。吸引とかも気持ち悪いというか、やっぱり怖くて。でも今は全然平気。
お兄ちゃんにも注射してるし。最初のころは呼吸器とか24時間家でみるのだけれど、もしなんかあったら...気づけなかったら...自分のせいで何かあったら...と思うと怖かった。

敏感になりすぎて寝れなかった。夢の中でもアラームが鳴ったり(笑)。最近は鳴ってても寝てしまってる(笑)。全然寝れてるから逆に怖いです。最初は本当に何をしていても(アラームが)耳に焼き付いていて。気を張っていたのは最初の1年間くらいかな。多分退院してからの1年はちょこちょこ入院したりしていたし。胃ろうにしてから入院しなくなったかな。よく吐いてて。気切の時はあまり抵抗なかったけど、胃ろうのときは少し抵抗がありました。口から食べれないのか、という思いで。もともと気切があるから食べれないのはわかっていたけど。
でも、胃ろうにして本当に楽になりました。

今は、普通に子育てして旅行も行ってます。週4日仕事に行くことも。

今は普通に子育てしています。そんなにケアがあるほうなんかな(いや、あるほうです!)
他の医ケア児のことは全然知らないけど、あまりあるほうだとは思っていませんでした。どこでも注入するし、吸引も普通にするし、旅行も行っています。

どこ行っても赤ちゃんって言われるけど(笑)。思っているより、今ここまでの姿も想像していなかったから、「歩きそうやな」とか、「歩く見込み」とかは考えていなかったから、病院で「歩けないかもしれないし、寝たきりかもしれない」と言われていたから、同じ疾患の子をすごく見るようになって、そしたら普通に歩いている子もいて、少し遅いのかもしれないけどって感じです。

「しんどーい!」ってなったこともなくて。でもいろいろ思ったときに「ああ、もう仕事できないんや」と思いました。もうずっと家にこもっているのかなって思ったり。

でも病院に数か月入院したときは、面会も毎日は行けなくて、仕事に行ってました。面会も予約制で遠い病院だったから、1時間半ぐらいかけてその時は車の運転もできなかったから、電車とバス乗り継いで。車乗り始めたのは本当に最近です。

手技については吸引はすぐにできました。なんか少し楽しくて(笑)。すごい取れたときはうれしいくらいです(笑)旦那も同じです。

仕事については週に4日行ってることもあります。日曜日も行ったり。旦那や実家に預けています。仕事は楽しいです。逃げてるっていうか(笑)一人時間かな。

豊中市で重心(重症心身障害児)の子を預けられるのって限られていて、相談員さんもいなかったから、自分でやるのは大変でした。

ただ、私は仕事をしたいっていうのがあったので、自分で電話して、一人で利用施設の見学に行って契約までしました。

今言っているところは結構近くにあります。お風呂に入れてもらって帰ってきたらだいぶ助かります。

同じ境遇の保護者さまたちに、何かかけてあげたい言葉はありますか 

同じ境遇のお父さん、お母さんへ「ファイティン✨」(頑張って!)

医ケアの知り合いのお母さんは全くいないんです。相談するときは旦那にだったり、訪看さんだったりかな。
昨日、このインタビューの質問内容を旦那と見てて、どうかなあと言っていたんですが、「ファイティン」かなって。

旦那も私もそんな感じだから。私の友達がたまたまなんですけど介護士していたり、看護師していたりで、この子をみても本当に普通なんです。私の代わりに吸引しようか?って言ってくれたり。初めて見たらびっくりするのかもしれないけど。

街中では呼吸器とかしているとめっちゃ見られたりはします。でも地元の友達とかは全然普通で。健常児でも大変て思うことはたくさんあるし、この子だからとか別にないんです。旦那は結構「この子はこんな子なんです」っていいたい人なんですが、私は疾患名までは言わなかったり、聞かれたら言うけど、伏せたいって思ったりするんですが、旦那は会社とかでも、子どものことを詳しく説明したりしているんです。

言ったほうが「もしかかしたら、つながりがあったりするかもしれない」と思っているようです。私にも「言ってみたら」っていうし、「Youtubeとかしようかな」って普通に言ってるんですよ(笑)!

『編集記』

インタビューでは、ご出産から現在までの道のりを丁寧に語っていただきました。予期せぬ状況下での出産や診断を受けたときの戸惑い、日々の葛藤の中で見つけた喜びと希望を、ありのままにお話しいただきました。

日常生活の中で感じる「小さな達成感」や、「仕事を通じた自分時間」を大切にしながら、仕事と両立しながら、前向きに歩まれるお姿はとても印象的でした。また、「ファイティン✨」(頑張って!)という明るいメッセージには、同じ境遇にいる方々への力強いエールが込められていました。

このインタビューを通じて、困難な境遇下でこそ支え合うことの大切さや、前を向くことの尊さを感じました。これからも、社会全体が支え合って、医療的ケア児の子育てができる社会を目指して、情報を発信し続けていきます。

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